えいやんの日々

いつか、パパとママとえいやんが過去を知りたい日の為に、 えいやんとの日々を記録しています。

区切り 親しかできないこと

コロナ療養期間も終わり、快方しました

 

いろいろな当たり前に感謝する中で

えいちの誕生日はもうすぐで

中学校生活も、もう半分になることから

ずっと引っかかっていたこと

えいちが卓球を辞めたことは、えいちにはもう気にしないよう

パパから伝えました

 

えいちが卓球を辞めたことを心で引っかかっていたままにするのか

前だけ向けるようにするかはパパ次第だと想い、

長い人生、幸せになってほしい人生を考えたときに

パパから合宿帰りのえいちに伝えました

 

自分なりに真剣に考えながらも、

普段の会社で会議室でのセミナーのようには

家族相手に居間で子供相手には理路整然、とはいきません

 

それでも多少なりともは伝わってくれていれば良いと想います

 

自分はずっと文武両道で全国を目指す中で本当の厳しさを知ることで

成長してほしいと思って、ずっと中学生でデビューして、

父親としては行ってほしかったのと思ったのと違う学校になってしまっても、

それでも何とか、と思ってきました

 

でも環境面はあまりにも厳しく、人間関係も恵まれず、

タイミングも悪く、相談しあえる状況にも無く、

めぐり合わせは悪すぎましたが、

何よりも、えいちに卓球を好きにさせてあげられなかったことと

仲間を作ってあげられなかったことが

自分の一番の責任で、大きな間違いでした

 

もともと優しいおとなしい気質で勝負事に向いている感じでは

なかったことを変えたくて、

細かい事までこだわりを持って厳しく接してきたつもりでした

 

色々な習い事の合間にはいってしまって、専念させてあげられない

苛立ちをえいちにぶつけてしまったことも多かったと想います

子供を迷わせるのは、一番あってはいけないことと想います

 

子供の成長は自分以上に親として喜びと思って、惜しむこと無く

過ごしてきたつもりでした

でも、もっと大切なものは子供の笑顔でした

 

そこを見落としてきた自分が、ずっと、えいちに対して

辞めたことへの後ろめたさや、自己否定を持たせ続けることは

あってはならない、と思い直しました

 

もう、パパがえいちに対して卓球についてどうこう言うことはない

卓球を再び始める日が来たとしても、パパが関わることはない

もちろん相談されれば力にはなるけど、

パパからどうこうすることも無い

 

だから、えいちは気にしないで、残った剣道や学校生活を

好きに過ごしたらいい

 

ただし

悪いことはしない

迷惑をかけない

 

そして

どこかで勝負しなくてはいけないときがある

強くならなくてはいけない

それは卓球に限らないということ

 

それと

大人になってから、趣味の卓球もあれば、

大学としての卓球もある

いつから始めたっていい

折角だから、楽しみの一つとして覚えておいてほしい

 

ということを伝えました

 

えいちの卓球には自分の夢もありましたが

自分の夢は自分の小さな草卓球の楽しみに置き換えて

自分で叶えていきます

 

その中で、えいちに本当に真剣に取り組むことは

自分が公私の過ごし方やビジネスの取り組みで

背中で示していこう、そう想いました

 

子供の心の引っ掛かりをどうするかは親次第

自分が勇気を持てば周りも変わると想います

 

たった一人の血の繋がった家族を大切に出来ない人が

何かをできるわけもない

 

 

 

えいちの部屋には、五輪メダリスト平野早矢香さんとの写真が

かざったままになってました

前は傾けていたと想います

 

前を向いていこうと想います