えいやんの日々

いつか、パパとママとえいやんが過去を知りたい日の為に、 えいやんとの日々を記録しています。

新しい土地で迎えた新年2023年

新しい土地で新年2023年 令和5年 卯年を迎えました。

 

こんなに寝れるのは近年無いというくらい、

これ以上なく深く寝ました。

新居に合わせてベッドが新調されたことが恐らく最も大きいですが(笑)

前の土地では15年間ずっと走り続けてきたような生活で家がおざなりだったので

(おざなりにしていたのはパパだけですが・・・・・・)

年末に転居をきっかけに大きく整理、

気持ちがスッキリしたこともあるかもしれません。

 

朝はママが毎年つくってくれるお雑煮を3人で食べました。

えいちにはお年玉を年が明けた瞬間に渡しました。

卓球をやめてしまいパパらしいことも減ってるので

(本人ほっとしてるかもしれませんが・・・)

後ろから支える形でスポーツマンとしてでなく

ビジネスマンとしての自分の失敗だらけから来た体験に基づく

具体的な助言を繰り返していけたらと思います。

 

そんなえいちにお雑煮を食べながら、話したことは一つ。

 

己の弱さを知ることが強さである。

 

パパ自身、己の弱さに向かい合わず、恥ずかしがったり避けたりしてきました。

もっと言えば、何が弱いのか心身、技術、知識、分析すらしてこなかった。

まともに考察・熟考してきたことも、ようやっと、ここ数年のことです。

 

しかしながら、それが出来るようになったこともまた、

何があっても見ててくれている家族や応援者がいることによるもの。

えいちには既に恵まれた家族はいるのだから、自信を持って、

変に勉強してきたから、習ってきたからというのではなく、

事実として自分がわかる・わからない、出来ている・出来ていないを分けて

弱みを弱みとして、それもまた個性なんだ、と

きちんと捉えて、

 

更にはそして克服していって、成長していって欲しいです。

 

そして願わくば、人の弱さを思いやれる人間になること。

それは弱さを知り克服した人間にしか、なかなかそうはなれません。

ここはまだ難しいかな・・・。

 

ここまでえいちには詳しく長くは話していないけれど

元旦に伝えたお話。

 

もちろん自分自身も生きている以上、飛躍と成長を目指します。

 

 

 

 

 

 

新たな生活の始まり

2022年もあっという間で、過去にない早さを感じました。

その大晦日に人生の節目を記録します。

 

えいちが産まれると同時に買った土地と家。

これを手放して、新たな土地へ移り住むことになりました。

2022年いや、この近年で人生に大きな出来事になります。

 

そもそも家を買うこと自体が一生に一度のことですので

これを手放すのは、大きな決断でしたが、悩んだ末の答えはシンプルでした。

「ママとえいちのそばにいるということ」

 

様々な書ききれない要素がありますが

定量的事実でいくと

義父母実家近くのマンションに住む運びになりました。

 

新たなる土地は中心都市圏そのものの街です。

閑静な郊外を選んできた自分には、

これまでの人生で、東京都に来たとき以来の変化点です。

 

喧騒の心配もあり、人の多さに当初は戸惑いましたが

ちょうど住宅街であり、住んでみると閑静そのもの。

何を買うにもすぐ近くで便利そのもの。

そしてマンションはマンションでシンプルな分、

便利で世話もかからなく、慣れてしまうと快適です(笑)

 

ただ他人の住む中に住んでいるということで

家からの出入りのときやゴミ捨ての際は、

少し気になる部分もありますし、

そこはえいちとママが心配なところもあるのですが

総じて良くなった部分がたくさんあります。

 

強いていえばインターネットがCATVになったり

パパとしては6畳+3畳で暮らしていたのが

6畳になったので相当断舎離してミニマライズした部分はあるものの

それでも在宅勤務や作業用の部屋をもらえたり、

ママに配慮してもらえました。

 

が、多くは書きませんが

実際は前の戸建てより遥かに良くなった部分が多々あり

ママの居住空間は圧倒的に良くなりました。

 

そして、元々実家があることや卓球にもピアノにも

しょっちゅう来ていた都市なので土地勘があるので

えいちはむしろこちらのほうが馴染んでるみたい。(汗)

 

12月中旬に引っ越したものの、年内には片付けが終わらず

一部設備工事やインターネット開通など間に合わせて

なんとかギリギリ生活を軌道に乗せ始めるところまで来ました。

 

まだまだ家の周辺はケアしていくところが多いですが

この転居をきっかけに自分は物心ともに過去の多くを精算しました。

一方で、大切なものを改めてきちんと整理して残したこともあります。

 

年齢も四捨五入すると50歳になり、

40代で身体ががんばり効くときも限られてきました。

怪我もとても増えてきて夏から卓球も出来ていませんが、

改めて心身鍛え直すことで

事業も会社のみならず家業にこだわらず

自分として、企画の力をつける。

やり方を学ぶのではなく、考え方を盗む。

悔いが無い人生を過ごしていくべく、

前を見るようにしていきます。

 

気づくと前の土地は15年ほど住みましたが

人生で一番長い時代を過ごしました。

今振り返ると、えいちの年齢そのものなのですが

必死に色々あがいて取り組んでみて

えいちに対しても、未熟でうまくいかないことも多かったけど

結果としては、逆にえいちとの関わりの中で多くを学びました。

卓球を好きにさせてもあげられず

悪かった点、まずかったところは

これからの関わりで良くしていこうと想います。

えいちにはえいちの人生を送ってもらい、

親の自分はそれを見守り支える。

そして僕の夢は負わせるものではなく

僕自身が追い続けるものであり、そうします。

 

今年のヒット曲は 新時代(ウタ)でした。

まさにそうなる2023年以降、前を向いて走ります。

 

えいちの誕生日

えいちが14歳になりました

 

色々と有り難いことにじーじとばーばに

多くのお祝いをしてもらっています

 

ただ

えいちの親は自分たちだから、当日は

自分たちで企画した誕生会もできたら、

そうも想います

 

自分は療養明けだからか体調がいまいちでしたが・・・

 

皆が元気でいる

何よりと想います

 

 

区切り 親しかできないこと

コロナ療養期間も終わり、快方しました

 

いろいろな当たり前に感謝する中で

えいちの誕生日はもうすぐで

中学校生活も、もう半分になることから

ずっと引っかかっていたこと

えいちが卓球を辞めたことは、えいちにはもう気にしないよう

パパから伝えました

 

えいちが卓球を辞めたことを心で引っかかっていたままにするのか

前だけ向けるようにするかはパパ次第だと想い、

長い人生、幸せになってほしい人生を考えたときに

パパから合宿帰りのえいちに伝えました

 

自分なりに真剣に考えながらも、

普段の会社で会議室でのセミナーのようには

家族相手に居間で子供相手には理路整然、とはいきません

 

それでも多少なりともは伝わってくれていれば良いと想います

 

自分はずっと文武両道で全国を目指す中で本当の厳しさを知ることで

成長してほしいと思って、ずっと中学生でデビューして、

父親としては行ってほしかったのと思ったのと違う学校になってしまっても、

それでも何とか、と思ってきました

 

でも環境面はあまりにも厳しく、人間関係も恵まれず、

タイミングも悪く、相談しあえる状況にも無く、

めぐり合わせは悪すぎましたが、

何よりも、えいちに卓球を好きにさせてあげられなかったことと

仲間を作ってあげられなかったことが

自分の一番の責任で、大きな間違いでした

 

もともと優しいおとなしい気質で勝負事に向いている感じでは

なかったことを変えたくて、

細かい事までこだわりを持って厳しく接してきたつもりでした

 

色々な習い事の合間にはいってしまって、専念させてあげられない

苛立ちをえいちにぶつけてしまったことも多かったと想います

子供を迷わせるのは、一番あってはいけないことと想います

 

子供の成長は自分以上に親として喜びと思って、惜しむこと無く

過ごしてきたつもりでした

でも、もっと大切なものは子供の笑顔でした

 

そこを見落としてきた自分が、ずっと、えいちに対して

辞めたことへの後ろめたさや、自己否定を持たせ続けることは

あってはならない、と思い直しました

 

もう、パパがえいちに対して卓球についてどうこう言うことはない

卓球を再び始める日が来たとしても、パパが関わることはない

もちろん相談されれば力にはなるけど、

パパからどうこうすることも無い

 

だから、えいちは気にしないで、残った剣道や学校生活を

好きに過ごしたらいい

 

ただし

悪いことはしない

迷惑をかけない

 

そして

どこかで勝負しなくてはいけないときがある

強くならなくてはいけない

それは卓球に限らないということ

 

それと

大人になってから、趣味の卓球もあれば、

大学としての卓球もある

いつから始めたっていい

折角だから、楽しみの一つとして覚えておいてほしい

 

ということを伝えました

 

えいちの卓球には自分の夢もありましたが

自分の夢は自分の小さな草卓球の楽しみに置き換えて

自分で叶えていきます

 

その中で、えいちに本当に真剣に取り組むことは

自分が公私の過ごし方やビジネスの取り組みで

背中で示していこう、そう想いました

 

子供の心の引っ掛かりをどうするかは親次第

自分が勇気を持てば周りも変わると想います

 

たった一人の血の繋がった家族を大切に出来ない人が

何かをできるわけもない

 

 

 

えいちの部屋には、五輪メダリスト平野早矢香さんとの写真が

かざったままになってました

前は傾けていたと想います

 

前を向いていこうと想います

龍馬伝

大河ドラマ龍馬伝」を療養期間で全話イッキ見しました

 

閉塞感、発展する諸外国、難しい地政学

このままでは駄目だと想いつつも

答えは自分でどこにもなく正しいかも分からない

探して動くしかなく、

国、藩、組織、家、自分の

どれを動かすにも途方も無い

 

それでもどうしたらいいかを

本気で考えて動いている劇中の面々の姿に

想うところが多々ありながら

気付いたら最後まで観終えていました

 

一足飛びに国という大きなところの前に

藩ですら途方もなく

でも、藩も国につながっている訳で

こう考えると別にすごいところですごいことをしていなくても

チャンスは絶対に大きなところへあるということを感じたし

当然、簡単にはいかないことだらけなものの

そこに抗っていく姿に感銘を受けた次第でした

 

何が正しい答えか分からず、

勝てなければどうなるか分からない

生き馬の目を抜くような世界で

最後は主人公の龍馬も果てた訳で

理想を貫くほど、変化を起こすことは

たくさんの敵や恨まれごとを

作ることにもつながり、

うまくやっていこうとしても

なかなかどうして、出来たり出来なかったりする

きれいごとでは済まない現実にも通じる

 

でも

簡単には出来ないことをもがきながら

動いてやっていった様子に

できる小さなことを狭い範囲からやっていこうと

思った次第でした

 

その中で武市半平太武市瑞山)が龍馬に別れ際に

己の思いを告げるシーンがあったのですが

自分も思い込むと軌道修正が難しいタイプなので

想うところがありました

 

そもそも

思い入れがあれば簡単に考えが変わる訳もない

目的を果たすために厳しい道や選択を選び続けてきて

大きな目的を果たすためにと自分も追い込んで

賭けてきたものが崩れていく様は

近視眼的で時流を読むのが下手な自分には

気付かされる部分が多々ありました

 

でも何よりも気付かされたのは、多くの犠牲も

最後に目的が成就すればそれでいい、そう思っていたのが

間違いだった、と武市半平太が最後に認めたシーンでした

 

自分は療養で会社を離れ、何も出来ず、結局家族の世話になっている中で

改めて観ていたのですが

えいちに対して厳しくしてきたこと、えいちへの卓球への関わり方について

自分もどこかで

かけ違えていたと想いました

 

それでも、後悔をしても始まらないので

前を向いていくしか無いと想いました

 

えいちにずっと卓球を辞めたことを引きずらせてしまい

引っかかったものを一生残したままにするもしないも

自分次第と思えば、きちんと、えいちには話していこうと決めた次第でした

 

パパ 新型コロナ感染症にかかる

執筆しているのは後日談です

 

会社の会議が荒れに荒れてしまい

これはまいったな・・・と弱っていたら

会議後にすごい寒気

 

夕方の打合せもイマイチだった為

早めに帰宅するも、次元が違う身体の重さで

帰りがけの店舗の検温では36.5度の微熱

(これで微熱です)

 

↓↓↓

帰宅後 39.7度

 

ここからコロナを直感

まず会社に連絡

家族に伝達

 

頭痛と悪寒でだいぶまいっている中

幸い、意識はまだはっきりしているので

病院にTELも急患扱いにするかしないか、のところで

急患の費用と本当に急患なのか?というところでヒヨる

 

→翌日 朝からTELするも病院どこも繋がらず

 東京都発熱相談センター経由で何病院かTELするも

 紹介されるところ全て つながらず 受け入れられず

 で

 翌日の夕方にやっと、外来受付対象の病院に家族に車で

 送ってもらいPCR検査を受診

 

 そこもスムーズにはいかず駐車場受診

 大量の人が押しかけ暑い屋外で検査受診

 で

 この結果が出たのは終わってみれば3日後 発症後峠を超えた矢先でした。。

 

 

闘病日記を延々書いてもキリ無いので

端折ると

<症状>

・40度近い熱が5日間継続(死を覚悟は大げさもメンタル折れかかる)

・後半は喉が痛くなり強い咳と高熱で眠れなくなり4日目で意識が遠のく

(家族が咳止めをすぐ処方してくれ本当に助かりましたが肺炎リスク大)

・上記と前後しますが5日目でようやく薬が切れても解熱し始める

 

ここでやっとPCR検査結果が出て、HER-SYS登録 COCOAなど厚労省や保健所の

システムに登録

 

ここからは療養期間を経て、

家族には巻き込んでしまい迷惑申し訳なかったですが

看病の甲斐あり、何とか社会復帰まで出来ました。

療養期間はブレインフォグや咳に悩まされて

後遺症についても悩みましたが、

改めて、家族と健康に感謝です

 

コロナは風邪ではない 重い病気であること

医療崩壊は他人事でなく本当に急患の方が命を落としかねない状態なこと

コロナ以外の病気もある中、受け入れられないこと

 

これらを身をもって思い知りました

 

また闘病中に何も出来なかったので

ずっと大河ドラマ龍馬伝」を観ていましたが

この療養では改めて思い直すことが多々ありました

 

肝心のえいちですが、幸いなことに

剣道部合宿で不在でしたので、何よりでした

(そもそも普段から隔離みたいな生活ですが・・・)

 

 

 

 

 

 

よみうりランド ジュエルミネーション

よみうりランド 夜桜ジュエルミネーション

最終日に行ってきました

なんと雨 (;´∀`)

 

えいちも行きたい、ということで一緒でした

家族3人でレジャーは中学生になってから珍しいです

 

とてもキレイでえいちも喜んでいて良かったです

 

写真もかなりキレイに撮れました